この度の「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方にお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
1995年1月17日午前5時46分、
淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生した。
死者 6,434名、負傷者 43,792名。
避難人数(ピーク時) 31万6,678人。
震災の後、現地を訪れましたが、3カ月たっても小学校のブロック塀や崩れた住宅から乗用車のテールランプが見えていたことを今でも覚えています。
暗いニュースにしたくないので、あの後の関西は、どう動いたか?
スポーツ界と映画界の動きを簡単に紹介します。自粛が多かったですが、大阪・奈良や関西一円のゴルフ場でも復興を支援するチャリティコンペが数多く開催されました。
プロ野球・オリックスブルーウェーブは『がんばろうKOBE』をスローガンに1995年(平成7年)、1996年(平成8年)とパ・リーグ連覇。1996年(平成8年)は日本一を成し遂げ、被災者を勇気づけました。
のちにメジャーリーグに行くイチローや田口壮などが所属したチームでした。仰木彬監督(故人)が好きだったなぁ。
サッカーのJFLヴィッセル神戸は1995年(平成7年)1月1日に正式にヴィッセル神戸として始動。日本プロサッカーリーグ昇格を目指し、1月17日に初練習をする予定でした。
だが、震災により岡山県倉敷市での練習開始を余儀なくされ、神戸では練習場の確保が困難であるため、練習場を転々とせざるを得ませんでした。
このように震災の日にチームが生まれたことを祈念するため、ホームスタジアムでの試合ではサポーター達により、試合前に「神戸讃歌」(「愛の讃歌」の替え歌)が歌われ続けています。
サントリーはこの年のプロゴルフトーナメント「サントリーレディースオープン」を中止。
その開催費用を原資として神戸市消防団に対して手引き消防ポンプ・可搬動力ポンプ積載車を全分団に配置可能な数量を寄贈し、その後も毎年数台を寄贈しています。
映画界でも
正月映画・男はつらいよシリーズの第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』は、神戸市側から松竹へのロケの要請や山田洋次監督(故人)の元に復興に努めていた夫妻からファンレターが届いたことがきっかけで、もっとも被害が大きかった神戸市長田区が舞台となり、神戸の「復興とボランティア」がテーマとなりました。
以上は、ごく一部を紹介したに過ぎませんが、私も大阪であの揺れを経験しました。
もし、あと2時間あとに地震が来ていたら、阪神高速の上で被災していました。毎日、渋滞する高速道路の上で大惨事になったと思います。
東京に来て今度は、東日本大震災に遭いました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
▼全社協 被災地支援・災害ボランティア情報
http://www.saigaivc.com/
▼東京ボランティア・市民活動センター
http://www.tvac.or.jp/
▼日本赤十字社
https://www.jrc.or.jp/
▼日本ユニセフ協会
https://www.unicef.or.jp/
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