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瀬戸内アイドル STU48応援日記

AKB48の被災地訪問 宮城県山元町《伝説の少女たちが舞い降りた》54

 

AKB48の被災地訪問活動 宮城県山元町

《伝説の少女たちが舞い降りた》54

 

 

21世紀の初頭、震災で傷ついた人々の心に灯りをともした少女たちがいた。これは、その足跡の一部を記録したものです。

 

被災地支援活動

「誰かのためにプロジェクト」

 

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AKBグループは2011年3月11日の震災直後に、 「誰かのためにプロジェクト」を立ち上げました。

  

AKBグループは、 ひと月も欠かすことなく継続して被災地を訪問しています。

 

トップアイドルたちを過密日程の中、 時間をこじ開けて被災地の皆さんの前へ連れて行く、 スタッフや関係者の皆さんにも頭が下がります。 

 

その様子をNHKでもずっと紹介してくれています。それは、ファンとしてありがたいことでもありますが、「風化させない」という意味でも大切なことだと思います。

 

このプロジェクトで集まった義援金は約13億円を突破しています。AKB48では、それ以外にも通園・通学の送迎用車輌を寄贈をしていますが、そんな事よりも笑顔と笑顔を繋ぐ地道なこうした取り組みを大事にしているところが素晴らしいと思います。

 

 

 

AKB48のメンバーとスタッフたちによる地道な復興支援活動を紹介しています。2015年10月12日の被災地訪問は、 宮城県の山元町でした。

 

山元町へは、第4回の2011年8月27日と第43回の2014年11月30日に訪れています。

 

 

同行した光文社FLASHスペシャル青木編集長の報告です。


 

今日は、54回目のAKB被災地訪問で、宮城県山元町に行ってきました。

 

ゆりあ、田野ちゃん、こじまこ、こみはる、ゆあみ、もえきゅん。

 

海のすぐそばにあり、3階まで津波にのまれるも、校長先生の判断で生徒たち約90人がが屋上に避難し、無事だった中浜小学校の校舎を訪れた後、坂元小学校の体育館でライブをしてきました。

 

海のすぐそばにあった中浜小学校は、校長先生の判断で、生徒ら約90人が屋上にある小屋に避難して、全員が助かったそうです。

 

津波の高さは、10メートルを超え、屋上ギリギリのところまで迫っていました。

 

周りに高台もないため、もし生徒たちを連れて、外に出ていたら助からないと判断したからです。

 

警報から、僅か10分。津波は校舎のほとんどを呑み込んでしまいましたが、ギリギリ屋上を越えることはありませんでした。

 

その夜、約90人が一夜を過ごした部屋も見せていただきました。

 

とても寒い夜で、勇気ある方が生徒たちのために探してきたというボロボロになった毛布がまだそのままで残っていました。

 

小学校の周りには、生徒たちがすんでいたたくさんの民家があったそうですが、今はただ野原一面、草むらが生い茂っているだけです。

 

改めて津波の恐ろしさと被害の大きさを痛感しました。

 


 

 

この後、中浜小学校の生徒たちも転校した近くにある坂元小学校の体育館でライブ 約200人の子供たちや生徒たちが集まりました

 

 

地元のりんごラジオに出演。 6人みんながとても素晴らしいことを言っていたので、再放送もあるらしいので、ぜひ聴いてみてください。

 

 

AKBが以前に寄付したAKBusも、山元町をフルに走り回っているようです。

 

 

 
ここでも毎月紹介してきましたが、震災直後の2011年5月から岩手県大槌町、山田町を皮切りに休むことなく毎月1回、合計54回の被災地訪問(岩手・宮城・福島・新潟など)を続けています。

   

 

 

会場が確保できない被災地のことを考慮して自前のトラックをステージに見立てたミニライブや握手会、クリスマスイベントなどを開催しています。らぶ

 

 

毎年3月11日には、AKB48SKE48NMB48HKT48の各劇場で

無料の「復興支援特別公演」が行われています。

 

「誰かのために」プロジェクト

AKB48「誰かのために」プロジェクトのWebサイトです。

 

 

 

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